希望を持つこと捨てること

希望。

いい言葉だと思ってた。

前向きにとらえてた。

その希望が矢になって、自分に刺ささった。

刺さって抜けないから、とりあえず血は止まってるけど進めない。

だけど・・・強制的に抜く勇気が出ない。

希望を持つこと

希望とは、好ましいことを望むこと。

失った人が蘇る、壊れたものが修復される、過去に戻ってやり直せる。

そして、去った人が愛に気付いて戻って来る。

望むことだけど、好ましいことなのかどうかわからない。

自分にとって好ましいことは、全て希望と言い換えて許される?

それとも、誰にとっても好ましいことが、希望として成立する?

少なくても今は、希望を持っている限り、待ってしまう。

メッセージが来る度、期待してしまう。

これは希望というより、未練だな。

希望を捨てること

自分より誰より大切にしていた人はもういない。

これから先、一緒に過ごすことはできないと認めることが、希望を捨てること?

希望が、好ましいことを望むことなら違う気がする。

好ましいことは、彼が元気でいて幸せになること。

キレイごとだけど、不幸せは望んでない。

心から愛した人の不幸は、選択した自分の不幸でもある。

大事なのは、待つのをやめて、期待するのをやめて、自分で自分を幸せにすること。

これは、希望を捨てることじゃないと思う。

持たない、けど捨てない

希望は持っても辛い、捨てても辛い。

それなら、このまま体内に取り込まれるのを待ってみるのはどうだろう?

いつか違和感が自分の一部になるかも。

もしくは、希望でも未練でもエゴでもいい。

ごちゃごちゃした気持ちを無理やりどうにかしようとせず、

キレイにラッピングしていったん心の奥へ仕舞うのはどうだろう?

奥まって見えにくくなれば、いつか存在を忘れるのが人間だ。

そうすれば、いつか取り出して、懐かしいと思えるかも。

自分自身でどうにもならないこと

哲学者、エピクトテスによると

「自分自身でどうにもならないことに期待してはならない」らしい。

他人の気持ち、時には自分の気持ちさえも自分ではままならない、

全てが変わってゆくこと、世にあるものは同じものは何もない、

病気、トラブル、災害、そして死。

この世は自分ではどうにもならないことに満ちている。

どうにもならないことをどうにしかしようとするから、無理があるのか。

そして古代哲学者から学んだ。

新しいことに挑戦する時は、素手でいくんじゃなくて武器を用意する。

退路やセイフティーネットを用意しておくことが知恵というものだ。

”どうにもならないことのために、予め備えておくことが大切”

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